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「ランボー2〜怒りの脱出〜」特集


2005年度公開予定「亡国のイージス」「THE WINDS OF THE GOD」との共通点!?
「ランボー2〜怒りの脱出〜」ひ とくちメモ

1985年製作アメリカ作品
■製作 バズ・フェイトシャンズ 
■監督 ジョージ・P・コスマトス
■脚本 ジェームズ・キャメロン/シルベスター・スタローン 
■撮影 ジャック・カーディフ
■音楽 ジェリー・ゴールドスミス
■出演  シルベスター・スタローン/ リチャード・クレンナ/
チャールズ・ネイピア/ ジュリア・ニクソン/スティーヴン・バーコフ

■管理人から一言

元気の出る映画特集
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 『「ランボー2〜怒りの脱出」?・・20年前の作品だぜ!今更特集もねぇだろ?!』って感じなのですが、昨今の日本も「亡国のイージス」「THE WINDS OF THE GOD」等の自衛隊、戦争を題材にした作品が目白押し、これらの作品とランボー2は日米の歴史の違いこそありますが「共通点」もあるなと、管理人なりに感じています。そこで改めて「ランボー2」の特集を組んでそのあたりの共通点に触れてみたいと思いました。この作品はもう数え切れない位鑑賞しているので本当・・私的には好きな作品。作品の詳細は検索かければかなり詳しく解説してるサイトもありますので、そのあたりはそちらにお任せするとして、ここでは管理人のイージーライダー的に斬らせて頂きたいと思います。
 何と言っても一番斬りたいのは、この作品の核、メッセージでもある作品ラストのランボーとトラウトマン大佐とのやりとり部分。

トラウトマン大佐:「(ランボーに対して)間違った戦争だったが、国を恨むな。」
ランボー:「恨む?・・・(国に対して)命を捧げます。」
トラウトマン大佐:「では何が望みだ?」
ランボー:「(ランボーが救出した帰還兵を示し)彼らが望んだ事です!彼らはこの土地(ベトナム)に来て一つのことを願った。(国の為に戦った)彼らのそんな思いが報われる事です。(彼らが国を愛したように、国も彼らを愛してほしい・・・俺の想いも同じだ)」
トラウトマン:「これからどうする?」
ランボー:「日々を生きます・・・・・・」

このあたりの台詞は、ベトナム戦争を経験したアメリカだけでなく 意味合いとしては(大東亜=太平洋)戦争を経験している 日本人にも当てはまるような気がしませんか?
とはいえ、日本の場合は、どうでしょう・・・。 「間違った(大東亜=太平洋)戦争だったが国を恨むな。」と問いかけられても 大きな意味では戦争そのものに正しい、間違いなんてあるわけもなく戦争=人類の過ち という見解が正しいのでしょうが、あの大東亜戦争=第二次世界大戦という戦争が外交の手段と化していた状況下での戦争の正しい、間違いの解釈をするならば、何かどうあの時代の日本は間違っているかどうかでさえ曖昧で、戦争せざるを得なかった、それでも戦争すべきではなかった、戦争してなかったら今の日本はなかった、日露戦争までの日本は正しかったが、大東亜戦争では過ちをおかした、いや違う、大東亜戦争は日本を守るためにやるべきだった自衛戦争だったのだ等々、専門家レベルでも様々な解釈があり、 実際のところは分からないのでは?ゆえに「反戦!反戦!」と言えば 常識人ってところがある。 戦後の日本は、世界が適用したら素晴らしいことになるだろう思われる平和憲法。そんな日本国憲法が日本にあるとはいえ、実質、世界は日本同様の平和憲法ではないわけで、有事は当然ある。日本の戦後の世界の有事への対処は、平和憲法国家であるがゆえに結局はアメリカに資金援助して米兵雇ってたようなもの。ゆえにベトナム戦争等には一切日本人参戦させてないが、とはいえ間接的には米兵を傭兵にして参加してたようなものだけど「そういう間接的な参加ならいいのだ!無傷だから日本は平和だ〜」なんて都合の良い事なところは目をつぶりつつ、盲目的に「反戦!反戦!」と言えば常識人。
それって矛盾してるよ。おかしいよね?!なんて言おうものなら「じゃ戦争を肯定するの?戦争を美化してはいけないよ」扱い。ちょっと極端か?!
厳密に言うと「反戦」なんて当たり前でこんな言葉自体もおかしい。俳優の今井雅之さんが原作の傑作作品 「THE WINDS OF THE GOD」。 原作者の今井雅之さんが「反戦」という言葉に対し、こう仰っています。

「だいたい「反戦」という言葉がある自体おかしいのですが・・・。この作品(THE WINDS OF THE GOD)は、たまたま54年前に生まれてしまったために、一つの集団ヒステリーに巻き込まれてしまった若者達がいたという事実と、今の平和の有り難さをもう一度考えようというものです。」

と。「反戦」という言葉自体はおかしいっては確かにその通りですね。 誰だって戦争、人の殺し合いはしたくはないですから。 「一つの集団ヒステリー」・・・。現代の価値観から言えば確かに「一つの集団ヒステリー」なのかも 知れませんね。ただ、日本の場合はその集団ヒステリーの要素を必要以上にとりあえず疑わしきもイコール「悪」 とばっさり、日本人の美徳感である「負けて潔しの精神」の名の下に切り捨ててしまったところに問題があると思います。文化歴史の違う外国人にとって日本人の「負けて潔し美徳感」なんて理解出来ない。 このあたりの整理は世界の美徳感に照らし合わせてというか、正々堂々「善」「悪」を整理して 戦後日本の価値観、日本国民の大東亜戦争に対する見方、価値観と すべきだったと思う。(東京裁判では戦勝国は敗戦国を裁くというアンフェアな 状況下での判決でしたから日本側が正論言おうがいかんともしがたかったように思っていますから、その裁判での判決は判決、とはいえ、あの時代の背景からして決してフェアな状況下での判決ではなかったと日本人は認識しているべきで)
A級戦犯拝む靖国参拝許せないなんて某国が仰るけど A級「戦犯」なんてのがそもそもおかしい。原爆落とした、東京大空襲したアメリカも戦勝国ではあるけど 裁判的にはこれ当然戦犯。戦争犯罪だろ〜日本の民間人大虐殺行為ですから。戦争法見たって合法のわけない。 戦争での人殺し行為をイコール悪とするなら、参戦国全てが勝とうが負けようが戦犯いますよ。そりゃ。 敗戦国日本だけが戦後裁かれて有罪扱いになるようなルール違反してて、 戦勝国は有罪なんて全くあり得ないクリーンファイトしてたなんてあるわけない。当然 大東亜戦争における極東地域の罪人は敗戦国日本だけなんてことあるわけない。 むろん、日本が正しいわけでもない。戦争そのものは当然いけない。それが普通のものの見方だと思う。 そのあたりの見方を肝心な日本人が出来ないのは問題だと思う。 脱線しました・・。話を戻し、
この「THE WINDS OF THE GOD」自体、今井さんは

「(アメリカ公演を)いきなり英語劇にして上演したんです。やっぱりアメリカは演劇の本場ですから、日本語でやるのは逃げだ と思って。結果的には、英語はボロクソに言われましたけど(笑)。ただ、言葉がつたなくても気持ちは伝わるってことだけはわかったんです。アメリカの人はダメな時はとことん批判 するけど、いいものには惜しみなく拍手をくれる。「ものすごい魂を感じた」と新聞の劇評でほめられて、日本ではなかなか 認めてもらえなかった時期だけに嬉しかったですね。
日本では神風とか戦争というだけで拒否反応を示す人もいるけど、アメリカでは人間ドラマとして素直に受け止めてくれ たみたいです。逆にアメリカのほうが色眼鏡で見ないぶんストレートに観て、いいか悪いかはっきり言ってくれる。」


とも仰っています。 別にこれをもってアメリカの姿勢がいいとは思いませんが、 認めない、あからさまに拒否反応を示す日本がいいとはもっと思えない。 このあたりが、敗戦国日本が最も昇華しなくてはならないところだとは思います。

メジャーリーグ中継を観ても分かるように 当たり前のように星条旗国歌には経緯を払うアメリカ、 その他の国も当然自国の国旗と国歌には敬意を払っていますよね。
「日の丸国旗」、「君が代」はどうでしょう?オリンピック、ワールドカップでは 「日本」「日本」と連呼し、君が代を聞き、金メダルで日の丸が掲げられれば 感動している反面、卒業式、入学式ではああだ、こうだ云々。
「国旗国歌制定法」なんて法律で定めている国日本だけです。 日本以外の国は自分の国の国旗、国歌に経緯を払うなんて常識ですから 法律なんていらない。当然の事で。 「日の丸」、「君が代」が戦争したわけでもないのに 敬意を払うのはイコール軍国主義?
またまた話を戻しまして・・・ 今の日本人がランボーのように 「恨む?・・・(国に対して)命を捧げます。」なんて発言すれば帝国、愛国主義的だぁ〜と 短絡的に特攻隊思想の生き残りか?みたいな扱いする人もいる。 旧日本兵の方で、戦後無事帰還されお元気な方もかなりご高齢になりました。 ランボーが日本人なら、旧日本兵のために戦ったとしたら・・・・・ 「彼らはこの土地(大東亜)に来て一つのことを願った。(国の為に戦った)彼らのそんな思いが報われる事です。(彼らが国を愛したように、国も彼らを愛してほしい・・・俺の想いも同じだ)」
とはつまりどういう事であり、子孫である我々は今どうあるべきか、今どう考えるべきかって 事になる。時代をしっかり繋がなくてはいけないのは我々の戦後世代。 そのあたりの歴史認識はしっかり子孫に時代を繋ぎたいものです。 そういう部分を見つけるためのひとつの動き、ヒント、きっかけが戦後60年を期にして節目として「ローレライ」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」「THE WINDS OF THE GOD」 という映画の公開に繋がっているのではないでしょうか? ただ観るだけでなく、調べる作業が必要だと思いますが。 明治維新から敗戦までは学校の教科書を例にあげれば、日本史と世界史教科書が 一緒になるはずの、日本が世界との国交に際し最も試行錯誤した難しい時代 であるにも関わらずあまり学べないのが現実ですから。
主な登場人物
ジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)

前作の事件のため服役中の身であったランボーはトラウトマン大佐から釈放と引き換えに特殊任務を受ける。特殊任務とはいまだにベトナム戦争で行方不明となっているMIA(戦闘時行方不明者)の「情報収集」のためカンボジアへ飛ぶこと。ハプニングに遭いながらも現地連絡員(コーバオ)と落ち合ったランボーは、ジャングルの奥地でMIAを発見、マードック司令官の「あくまでも任務は情報収集のみ」という命令を無視してMIA一名をを救出。ヘリコプターで救出があるはずの約束の時間にMIA一人を連れて向かうが・・・ランボーがMIAを連れ帰っていると知ったマードック司令官は救出を中止せよと命令、救出目前でランボーを見捨てる。救援部隊の裏切りにあったランボーは・・・。






コーバオ(ジュリア・ニクソン)

亡き父の後を継いでベトナムで諜報部員をしている女性(コーバオ)。 ランボーと コーバオと一時語り合う船のシーンがあるのですが、ここがいい! コーバオがランボーに尋ねます。「なぜここ(ベトナム)へ来たのか」と・・・ それに対してランボーが「俺は捨て石だよ。例えばパーティーによばれて参加しても 誰も気が付かない。いてもいなくてもどうでもいい人間さ」みたいな語りをするシーン。 自分の存在価値をあの、サバイバルナイフでしか見いだせない哀しい心の傷が 背景にあるとわかっているからこそ、後半のクライマックスが光ります。 そんなランボーとアメリカへ行く約束をしたコーバオでしたが・・・。







トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)写真右

ランボーが唯一信頼する元上官トラウトマン。前作ではランボーを救いました。今回はランボーの任務が「情報収集」だけの任務とはいえ、思いがけず捕虜収容所で偶然MIAを見つけ救出したにも関わらず、救出直前に作戦中止、見殺し同然で見捨てたマードック司令官と対立します。2003年に膵臓ガンのためお亡くなりになられたとのこと。ご冥福をお祈り致します。


マードック司令官(チャールズ・ネイピア)写真左

ランボーに誰もいないはずのMIA捕虜収容所に行かせ、その無人の写真だけを撮らせ「ベトナムに米兵捕虜はもういない」と世間に認めされるための上層部からのベトナム戦争の尻ぬぐい的任務を遂行するはずが、誰もいないはずのMIA収容所に思いがけず捕虜となっているMIAがいたことと、そんな任務にランボーを起用したことにより・・・・。


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